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西山ふさ江さん(104歳)=上田市= 「戦争の惨事語る」 ★花火のように焼夷弾が飛ぶのが見えるなかを実家の上田に逃げようと上野駅に向かった

テーマ:上田市ニュース

 今年104歳になった上田市の西山ふさ江さん。
 東京大空襲を体験し、いまだに戦時中の辛さが甦る。

 西山さんは大正10年5月30日、上田市豊殿に5人兄弟の長女として誕生。 
 高等女学校2年の時、東京の叔母(父親の姉)夫妻に子供がなく、養女となり東京に移り住んだ。
 19歳で結婚。
 太平洋戦争が始まった41年に長女、43年に長男を出産した。

 戦況が悪化すると、東京の各地に米軍のB29爆撃機の焼夷弾(しょういだん)が投下されるようになった。住んでいた家が焼けた。

 1945(昭和20)年3月、東京大空襲。
 住んでいた家が焼け出された。逃げ回った。
 花火のように焼夷弾が飛ぶのが見えるなかを実家の上田に逃げようと上野駅に向かった。駅は大混乱していた。
 その時、母親に連れられた小さな子供を踏んでしまった。
 その子供は亡くなった。
 柔らかな感触が今でも残っていて夏がくると思いだして眠れない。
 「足が痛いのはそのせいだ」と自分を責める。
 「一番辛い思いで」という。

〈辛い食料不足〉
 長女を身ごもり、産院に行く途中、卵を並んで買った。
 車がないので歩いて産院に行く途中に卵が潰れてしまった。辛く苦しかった。
 サツマイモを分けてもらいたくて子供を背負って千葉まで電車で買い出しに行った。
 駅には監視員がいて見つかるとサツマイモは取りあげられてしまう。線路づたいに2駅歩いた。
 荒川の土手に食べられる草があると聞いて行ってみた。ナズナがあったが、囲いがあって入ることができなかった。
 卵を1個買うのに1時間も並ばなくては買えなかった。
 当時3歳の長女、智恵子さんが「私に任せて」と並んでくれた。

 〈夫に召集令状〉
 夫は支那事変でマラリアに罹患したことが原因で召集令状がなかなか来なかった。
 戦争が終わる10日前に届いた。
 上田駅まで子供を連れて送っていった。
 「子供だけは大事に
して」と夫から言われたが涙もでなかった。
 夫は「母ちゃんは冷たいなあ」と言っていた。
 夫は仙台へ招集された。特攻隊だった。ところが飛行機がなくてすぐに帰された。
 近所の人たちに「逃げ帰ってきたのか」と思われるのではと母は夫を家にしばらく隠した。

 〈終戦を迎えて〉
 終戦の日、天皇陛下のお言葉をござに座って聞いた。
 澄んだ声で「体をこわさないで元気を出してやってください」と言われ皆、泣いた。
 戦争が終わても相変わらず食料は無かった。
 米は戦地に送らなければならないの現地では麦ごはんだった。
 畑でナズナやハコベを採ってきて麦ご飯に入れて食べた。
 体重は減って痩せてしまった。
 子ども達に食べさせるものがなく、山に入って野いちごを摘んできた。
 子供を山に連れて行くことができないので家に置いていった「かあちゃん、かあちゃん」と泣いていた。
 時間がかかってやっと摘んできた野いちごを泣きながら食べていた。
 「今でも思い出す」。 

 〈優しい進駐軍〉
 進駐軍は怖い人だと思っていたが、ある日、ジープに乗っていた米兵が手で招いた。
 飴をくれた。「サンキューベルマッチ」といったら喜んでくれた。
 「優しい人もいるんだ」と思った。

〈現在の西山さん〉
 4年前から上田市内の長女の智恵子さん一家と暮らしている。
 趣味の折り紙を折ったり、週2回デイサービスに行く。
 デイサービスでは「西山さんと話がしたい」と待っているいる人がいる。
 「今が一番幸せ」と話す。