こもろの歴史を探る! ★「こもろ宿散歩」と「本陣修復現場」を見学。
テーマ:小諸市ニュース
小諸市教育委員会はこのほど、春の生涯学習イベント「こもろ宿散歩&重文『旧小諸本陣』修復現場見学会」を開いた。
小諸宿の歴史と魅力を学ぼうと約80人の市民らが参加。
本陣の解体現場や北国街道沿い本町、市町の散歩コースをガイドの案内で巡った。
市教育委文化財・生涯学習課が進めている「本町・市町地区伝統的建造物群保存対策調査(伝建調査)」と「国重要文化財旧小諸本陣修復工事」の中間事業報告会をかねた地域学習イベント。
伝建調査は、まちの歴史に重点を置いた学術調査で、主な調査対象はかつての小諸の宿場であった本町と市町に残る伝統的建造物群と工作物。
本陣修復は、国の重要文化財である旧小諸本陣を修復し小諸の歴史を証明するものとして後世に伝えていくことを目的とした大規模な工事。
今回のイベントでは、これまでの調査でわかった成果を「まち歩きのガイド」にも反映し、本陣修復現場の見学では、解体で見つかった貴重な部材などを公開した。
この日まち歩きは3回に分けて行い、雨にも関わらず午前の部には約60人が出発地点のほんまち町屋館に集まった。
参加者は3グループに分かれ、ガイドの案内でそれぞれ本町コース、市町コース、本陣見学をスタートした。
◆伝建・本町コース 町屋建築や蔵、裏側の魅力
本町コースは、北国街道沿いに立ち並ぶ町屋建築の江戸時代や明治から昭和など各時代の特徴が入り混じった歴史の重層性を感じるコース。
まちを形づくる高低差ある地形を歩くことで、町屋のファサード(正面外観)や奥の生活空間、蔵といった裏側の魅力にも迫った。
一行は、本町交差点から権兵衛坂を行き、本町裏手に回って中沢川沿いを健速神社に向かって歩きながら、まちの高低差を示す川の流れや石垣、町屋が崖の上に立地している様子を見学。
こもろ観光ガイド協会の清水ますみさんは、石垣を築く技術があったことに触れ「この道は小諸藩初代藩主仙石秀久が祇園に通った道、お殿様の気分で歩いてみて」とガイド。



奥は塩川邸の蔵が建つ石垣で、町人地と武家地の高低差を確認】
馬場裏通りでは、町屋建築の奥にある蔵を裏側から見ることができ、江戸時代の本町庄屋屋敷・塩川五右衛門邸の蔵を見学。
蔵が建つ石垣は、町人地と武家地を分ける石垣でもあり、高低差があることを確認。
「小諸城は穴城といわれ、町人地の方が武家地よりも高い立地になっている。武家地を見下ろしてはいけないということで、ここに高い塀が建てられたといわれている」など案内した。
◆伝建・市町コース 鍋蓋城の跡や由緒ある小径

市町コースは大手門からスタートし、こもろ観光ガイド協会の清水季志子さんが案内。
大手門から鍋蓋城の跡があった高台を眺め、道路が通って城跡は残っていないが、鍋蓋城が小諸城の前身であることを歴史や地形で説明した。
移動しながら武家地と町人地を分ける木戸があった場所を示し、市町の北国街道沿いでは、本陣上田家の分家の建物や蔵、小諸脇本陣粂屋、山謙酒造などを案内した。



裏町通りでは、本陣の裏の顔を見ながら、道祖神や金毘羅山のお宮、土蔵など雰囲気のある小径を歩いた。
「ここは古い街道で東山道清水駅(しみずのうまや)に通じていたといわれる。小諸宿北国街道ができるまで、元々のまちだったと思う」と清水さん。「ここに市が立ったのが市町の名の由来」と話した。
本陣上田家の米蔵や石垣、雷電為右衛門が寄進した「袂(たもと)鐘」で知られる養蓮寺なども案内した。
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昭和48年に国重要文化財指定の「旧小諸本陣」は江戸時代、主に公用の書状や荷物の輸送を行った問屋場として使用され、敷地内には参勤交代の大名などが休泊した本陣の御殿もあった。
「旧小諸本陣」は小諸のまちがどのように形づくられ発展してきたか、その歴史を検証することができる文化財として修復工事が行われている。
現在工事は、素屋根を建てる足場を組むために道路から4m曳屋をして建物を解体しており、大まかな解体はほぼ終わり、建物として建ってられる構造体を残した状態。
これから破損調査をしながら破損しているところだけをていねいに解体していく。
今後は修理・組み立て方針を協議し、復元を当初の姿にするのかどの時代に戻すのか、耐震診断、補強などを決め、来年1月頃から令和9年まで組み立て工事を予定。
復元後は一般公開予定。
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◆本陣修復現場解体の過程で歴史、見つかる
本陣の修復工事現場は、公益財団法人文化財建造物保存技術協会、重要文化財旧小諸本陣主屋及び表門設計監理事務所の田窪寛史所長らが案内。


参加者は、解体現場の足場を高さ約7mまで登り、本陣の屋根付近を間近で見学。



瓦や板などを外した状態の屋根の中を見て、建物が木を組んでできている様子や解体していく過程で現れた貴重な部材の説明に耳を傾けた。
「部材を解体していくと木材に年号などが入った刻書が出てくる。解体していくと歴史がどんどんわかり始める」。


解体した材料をどこに戻せばいいのかを示す「番付札」や焼け焦げた跡のある梁、床板に転用されていた「宿札」「小諸市町御本陣行き」の刻書がある木材などを紹介した。
田窪所長は「御本陣行きの木材の発見は驚きだった。本陣は記録や昔の文書がないので、本当に問屋場かということをまず疑わなければいけなかった。これが『本陣間違いなし』の証拠に近い」と話す。
焦げ跡は、文献で明治時代に市町で火事があった記録があり、それがここまで燃え広がったのではと推測されるという。


また、壁の漆喰を落とした際に出てきた「線(屋根の跡)」の位置を示した赤い棒を紹介。
本陣(問屋場)から奥にさらに建物があったことを示す線で、その屋根の跡とみられる。
絵図でわかっていることは、建物の奥側に参勤交代の大名が泊まる座敷棟や元の持ち主の上田家の人たちが住んでいた家があり、それと問屋場をつなぐ建物として何かそこにあったと考えられるものが痕跡として出てきた。
「こういった痕跡は解体して調査をしてみないとわからなかったので、それを調べながら徐々に進めている」という。
田窪所長は「造作の解体から始まり、畳や建具、瓦などを取り外してきた。大変だったのは、改造が多い点で部材の年代の種類がいっぱいある。問屋場の時代、次に病院や一般住宅として使われた各時代のそれぞれの仕事があるのでその判別が難しい」。
「破損調査の解体作業の後、組み立て工事ですべての材料を戻していく。当初の姿はどうだったのかを調査しながら、少なくとも問屋場であっただろう時代の姿に戻していくのがこれからの作業。令和9年まで続くのでまた途中で中間発表、現場を見てもらう機会を予定したい」と話していた。




