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「老中松平忠固と生糸紡績研究会」が上田市で「研究合宿」を行う!

テーマ:上田市ニュース

【蚕室外観】
【蚕室内部を見学する会員】
【風穴内部】

 「老中松平忠固と生糸紡績研究会(会長・岩下哲典東洋大学教授)」の15人が、上田市で「研究合宿」を行った。
 同研究会は幕末の江戸幕府老中で上田藩主「松平忠固」の業績研究を進める大学教授や大学院生などで構成している。

 昨年に引き続き2回目。
 初日は7時間を越える各自の研究発表を行った。
 2日目は、稀代の養蚕家倉澤運平の別所温泉にある蚕室と同所の氷沢風穴の現地視察を行った。

 蚕室は、別所温泉石湯や旧柏屋別荘近くにあり、1916(大正5)年の建築。
 地下に設けたストーブで温めた温風を1階床下に送り蚕種を孵化、同様2階にも温風を送り、成長した蚕を育てた。
 さらに病気に強く高品質の蚕を育てるため、蚕種を天然の冷蔵庫とも言われる風穴で保存し、孵化時期の調整を行った。

 運平は、特に秋蚕の製造に特化し長野県指定新品種「二化性(年間に二世代を繰り返す性質)新白」を生み出すなど養蚕業全体の生産性を上げた。

 研究会員で郷土史研究家で、埼玉県在住の関廣好さんは「素晴らしい蚕業遺産、運平が漢学を学んだ上田藩士上野尚志の墓参もしたい」と話した。

◆まちなか先人ナイト講座 関教授が講演 うえだ原町一番街商店会など

【講演する関教授】

 また、同研究会と上田藩主松平家ゆかりの子孫や藩主に関心のある有志などでつくる「明倫会」(布施修一郎会長)「うえだ原町一番街商店会」(河合良則理事長)の協働イベントとして「まちなか先人ナイト講座」があった。
 口座は、同商店会が進める「地域の先人を学び、これからの地域づくりに生かす」のが目的。

 同研究会の副会長で上田市出身の拓殖大学関良基教授が「赤松小三郎と江戸の民主主義」の講演を行った。

 50人を越える会場で行われた講演会で、関教授は、平成29年から平成30年までの京都市事業「大政奉還150周年記念プロジェクト」で、これを成し遂げたゆかりの人物として赤松小三郎が取り上げられたことから、なかでも最も知名度の低かった赤松の名が有名になったこと。
 幕末の薩摩藩に英国式兵学の軍事教練をしたのは赤松で、京都上京区相国寺の南にあった薩摩藩邸で約1000人の藩士に教えたことーなどを語った。

 その教え子には東郷平八郎、伊東祐亨(すけゆき)、上村彦之丞(ひこのじょう)がいる。
 明治39年に上田を訪れた3人が千曲川で舟遊びをした際に、寡黙な東郷と違い、伊東が日露戦争の勝利は赤松のおかげと話したことで地元はとても驚いたと伝わる。
 しかし、当時から赤松の暗殺は厳しい「かん口令」があり、その功績が埋もれてしまった。

 赤松は、新しい日本のために幕府と薩長の衝突を回避すべく幕府内、西郷隆盛や大久保利通、会津藩の説得を続けていた。
 しかし、薩摩を軍事的に比類なきものに強くし、その内情に通じていた
 これらの関係から、幕府の武力討伐にこだわる西郷が、上田に戻れば薩摩の情報が筒抜けになるとして、弟子の中村半次郎に指示したもの。
だが、後年、中村が山縣有朋に向かって、赤松を殺す必要はなかったと話したとのエピソードを紹介。

 今も鹿児島では、出身地は知らないが赤松小三郎の名を知る人が多い。
 上田と鹿児島との交流をすべきではと話した。

 赤松の「建白七策」では、議会制度の提唱で身分にかかわらず日本古来の「入札(いれふだ)」により議員を選ぶとしている。
 後に大政奉還の契機となった「土佐の大政奉還建白」の内容は、赤松の建白書を参考にしている。

 さらに新政府が発布した新しい政治方針である「五箇条の御誓文」は、明治政府が天皇を中心とした国づくりをするということを諸外国に示すことになった。
しかし、著書「江戸の憲法構想」の中で、実は幕臣は個人の自由や多様性を尊重するリベラル、薩長は神国思想から結果として暗黒政治を先導したのではないかと結論付けた。