上田飛行場の特攻教官の遊佐准尉と妻子「慰霊の集い」2025
テーマ:上田市ニュース
◆フィールドワークの報告をする平和プロジェクト上田









上田飛行場の熊谷陸軍飛行学校上田教育隊で特攻教官の遊佐卯之助准尉、当時30歳が終戦から3日目の1945年8月18日、妻秀子さん(同22歳)、長女久子ちゃん(同生後27日)と共に上田市富士山の山中で自決した。
慰霊の会(工藤真一会長)は、遊佐一家が自決した18日に毎年「慰霊の集い」を開いてきた。
今年は、上田市手塚の塩田の里交流館(とっこ館)で開き、学生を含む約80人が黙祷を捧げ遊佐一家を悼んだ。
長野吟詠明光会は辞世を吟詠、上田いずみ合唱団は「明日への伝言」「青い空は」「星のほほえみ」3曲の平和の歌声を響かせた。
毎年、参加している秀子さんの甥、東京都の森田敏彦さん(65)は「顕彰碑を建てていただき、盛大な慰霊の集いを毎年、開催してもらっている。世界一幸せな仏」と遺族を代表して感謝を述べた。
第一部は上田飛行場隊長だった斎藤義秀さんの孫で東京に住む斎藤名穂子さん(48)が、祖父の体験から「戦争問題」について語った。
「祖父は戦争についてほとんど語らず生涯を終えた。終戦後、航空会社からパイロットの就職口の斡旋があったが、断ったことを父から聞いたことがあった。祖父はおそらく罪の意識をずっと感じながら生きていたのではないか。戦争は人を変えてしまう。それが戦争の残忍さだと今は思っている」と語った。
第二部は長野大学生と上田西高校の「国際平和チーム」のメンバーでつくる「平和プロジェクト上田」が、8月9日に実施したフィールドワークと、今後の活動をプロジェクトの代表で前長野大学副学長、信州クラーク高等学院副校長の山浦和彦さんの進行で行った。
学生から「戦争の遺跡を大切に守り、次世代に語り継がなければ風化してしまう」
「国のために死ぬという風潮が遊佐さん一家の自決に繋がった。現在の平和がいかに貴重かを実感した」
「戦争の悲惨さから平和の尊さを知った」
「海外に留学して日本の戦争に対する価値観と海外での価値観を伝えたい」-など、フィールドワークを通して肌で感じたことを報告した。
今後の活動について「日本の戦争のことを英語訳にしてユーチューブやティックトックなどSNSで流し、海外で知ってもらう絶好のチャンス」と話した。



