上田市手塚地区に居を構えていた平安時代末期の武将「手塚太郎金刺光盛」を供養。★子孫が「先祖祭り」
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上田市手塚地区に居を構えていた平安時代末期の武将・手塚太郎金刺光盛の子孫が、先祖を供養する「先祖祭り」を、上田市の須川公民館で開いた。
地元を中心に東京や山梨から27人参加。
子孫は、会場の公民館そばに建つ手塚太郎金刺光盛ら手塚家の墓所で墓参りを済ませ、須川公民館に集まった。
手塚家総本家の手塚三博さん(68)の音頭で、先祖祭りが長く続くことを願って乾杯。
続いて母親の実家が光盛の子孫という山梨県北杜市の道村一彦さんが講演。
道村さんは「母親の実家の庭に建つ石祠に『家祖手塚太郎光盛代々鎮守』などと刻まれていることから光盛を祖として天正年間に左京亮光経が当所に住みついた事を知った。手塚家は御下手(おしも)、御上手(おわて)、御西家(おにし)の手塚三家として続いてきた」と話した。
母方が手塚太郎金刺光盛の先祖である上田市の上原榮治さんは「今回、東京から女性弁護士で木曽義仲を研究している人や高崎から子孫の夫妻らが出席するなど県外にも広がりをみせている。来年からはさらに増える」
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手塚太郎光盛は、一族の命運を木曽義仲に懸けていたため、1184年の粟津の戦いで木曽義仲が敗死した後、源頼朝に田畑家屋敷を没収された。
一族は手塚地区から須川地区に落ち延びた。
落人(おちうど)となったため「手塚」の名前を出すことをはばかり、暮石には「手塚」の文字は書かれなかったそうである。
手塚治虫のルーツは手塚太郎光盛。
手塚治虫の作品「火の鳥 乱世編」で木曽義仲に「火の鳥が見つかった」と進言するワンシーンで登場する。



