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「松平忠固公を語る講演会」とパネルディスカッションを開催!上田藩主松平家ゆかりの子孫や藩主に関心のある有志などでつくる「明倫会」

テーマ:上田市ニュース

【講演する関教授。会場に展示された飯田さんの先人案山子】

【左からコーディネーターの布施会長、パネラーの関教授、浦辺さん、本野さん】
【講演する関教授】

 上田藩主松平家ゆかりの子孫や藩主に関心のある有志などでつくる明倫会=布施修一郎会長、会員30人=は13日、上田市常磐城の西部公民館で「松平忠固公を語る講演会」や「パネルディスカッション」を、開催した。
 同市古里の飯田きみ子さん(72)が制作した忠固や井伊直弼などの先人案山子約20体も展示した。

 講演会は、関良基拓殖大学法学部教授が著書「日本を開国させた男、松平忠固」から歴史の通説となっている薩長史観から幕府が朝廷意向を無視し、米国のいいなりに開国したという解釈が誤りであること。
尊王攘夷の流れが、忠固主導の条約を「違勅」とされ、わが国の外交貿易政策に大きな障害となったと話した。

 さらに忠固は、英国がアヘン戦争で敗北した清国の次に、日本の植民地化を進める目的で開国を迫り、締結を目指す不平等条約の動きをいち早く察知。
先んじて米国との条約を締結したことから日米修好通商条約は不平等条約ではないこと。
何より、上田産の高品質な蚕種の輸出により外貨を稼ぎわが国の経済的自立の基盤の礎になったことを指摘した。

 激動の江戸末期、幕府中枢で矜持を持ち日本を世界に開いた忠固は、老中水野忠邦の批判。
日米和親条約交渉で攘夷派の徳川斉昭との対立。
日米修好通商条約締結後の失脚ーと、3度までもその座から滑り落ちても乗り越えたドラマチックな生涯。
それは、真田昌幸、幸村(信繁)父子に負けない不撓不屈の姿を描く大河ドラマになりうる人物だと熱く語った。
さらに忠固のなしたことを明らかにすれば幕末史の定説は覆るとも話した。

 パネルディカッションは、布施会長がコーディネーターを務めた。
関教授、忠固玄孫で神奈川県鎌倉市の浦辺信子さん、忠固研究家で会社経営の東京都千代田区の本野敦彦さんの3人がパネラーとして参加した。

 浦辺さんは「忠固の大河ドラマが実現すれば歴史の影に隠れた真実が分かる。子孫として協力したいし地域の力を借りたい」。

 本野さんは「関教授の本により、無名でしかもあまり良い記述がない忠固の生涯を知ることができた。5年前、市内横町にある松平家菩提寺の願行寺で講演会があったが、その時から確実に忠固の名の知名度が上がっている。忠固が成し遂げた生糸貿易は昭和期まで上田だけでなく日本を支えた彼にしかできない偉業。長い目で大河ドラマの実現を目指したい」と話した。

 関教授は「上田には、市民主導で真田の大河ドラマを実現したノウハウがある。登場人物はイケメンであることも重要。忠固を継いだ忠礼もその弟の忠厚もイケメンでアメリカでも足跡を残している。実現を目指したい」と熱く語った。

 会場からの質問で忠固と赤松小三郎との面識はあったのかに対して、関教授は「赤松は、当時わが国最高峰の数学者内田弥太郎の下で学んだ。勝海舟の塾でも学んでいる。これは忠固の意向が働いたものではないか」と答えた。
また、大河ドラマ実現に向けた取組方法はとの質問に、ホームページやSNSなどのネットでの発信も重要。
本野さんが管理者の松平忠固史や大河ドラマに出演した俳優三輪和音さんの日本史別天地のホームページhttps://www.devision-devision.comなどが紹介された。

 先人案山子を展示した飯田さんは「誇るべき地域の先人が多い上田を官民一体でもっと発信すべきだし、さらなる行政の取組みを期待する」と話した。
 熱心に聞いていた上田高校1年の金井悠瑛(はるあき)さん(16)は「興味深い講演だった。総合学習などで学んで郷土の先人に興味がある。これからの学習の研究テーマにしたい」とうれしそうに話した。