中野市出身の作曲家・中山晋平の知られざる生涯を歌と共に綴る映画「シンペイ」が、あす10日から全国公開! ☆監督、脚本(加藤正人氏と共同)の神山征二郎氏(83)に映画について話を聞く! ◆撮影の半分以上が上田市
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映画では晋平、西條八十、野口雨情という大作家が熱海の晋平邸2階座敷で語り合う重要なシーンで使用。
ロケ地の東京までトラックで運んだ】
中野市出身の作曲家・中山晋平(1887―1952)の知られざる生涯を歌と共に綴る映画「シンペイ」が昨年11月22日から全国に先駆けて県内で公開。
明日10日から、いよいよ全国公開となる。
アリオ上田内のTOHOシネマズ上田での観客動員数は正月が明けて7000人に迫る勢いで続映中。
鑑賞した多くの人から「感動した、涙した、もう一度観たい」という感想が関係者に寄せられている。
なお、全国公開の舞台挨拶は10日、吉祥寺オデヲン。
登壇者は土屋貴子さんと神山(こうやま)征二郎監督。
11日はTOHOシネマズ日比谷。
登壇者は志田未来さん、真由子さん、土屋貴子さん、緒形直人さん、神山監督。
◇ ◇
「シンペイ」の監督、脚本(加藤正人氏と共同)の神山征二郎氏(83)に映画「シンペイ」について話を聞いた。
Q監督は以前から中山晋平さんの映画を撮りたかったと話していましたが理由は。
A私は子どもの頃、歌を歌うことが大好きだった。中学3年生、15歳の時に隣町の「のど自慢大会」で準優勝をとりました。将来は歌手になろうという夢を抱いたこともありました。
芸能も大好きで、農閑期に旅芝居の一座が来ると必ず見に行ったものです。
Q子どもの頃の歌好きが「シンペイ」を作るきっかけにもなりましたね。
A20年前、中山晋平さんのことを知るようになった。晋平さんは田舎の大きな農家の育ち。18歳で東京へ出て・・・というのがなんとなく自分と似ていた。そのうちチャンスがあったら是非、作ってみたいと思っていました。
4年前、新田博邦プロデューサーと縁が出来て、晋平さんの映画制作の相談を受け、制作が現実となりました。映画を作っている時、晋平さんと一緒に作っているように感じました。
Q歌が好きだった監督がなぜ映画の道を選んだんですか。
A高校生の頃は、日本映画の全盛期。当時、中村錦之助や石原裕次郎はスーパースター。全国の映画館で2人のフイルムを取り合うほどの人気ぶりだった。
そんな時代の影響を受けて岐阜県の高校を卒業後、日大芸術学部映画学科監督コースに進学しました。18歳から監督の勉強をしていたわけです。
Q監督になって最初に制作した映画は。
A30歳で監督になり、1971年「鯉のいる村」がデビュー作。大ヒットとなりました。
Q監督は今まで31作品制作してこられましたが、一番思い入れのある作品は。
Aどれもみな可愛いいが、監督として一つの大きな節目となったのは1983年に制作した「ふるさと」。岐阜県の山奥の村でダム建設のために無くなる村のおじいさんと親戚の坊やとの交流を描いた作品です。世界的にも評価されました。
Q今までの作品が数多くの賞を受賞していますが特にうれしかった賞は。
A2作目(1976年)の「二つのハーモニカ」は日本映画監督協会新人奨励賞をいただいた。歌謡界だと日本レコード大賞最優秀新人賞のような賞で、新人皆がとりたい賞だっただけにうれしく、自信になりました。
Q作品の共通のテーマはありますか。
A私の作品はどの作品も人間の愛をテーマにしています。
Qこれからも映画の制作を考えていますか。
A上田市出身のコカリナ奏者、黒坂黒太郎さんが書いた「独鈷山」の映画化が、地元を中心に持ち上がっています。実現できれば力になりたい。
「撮影しているときは27、28歳の精神状態です」と話す。映画にかける情熱は誰にも負けないようだ。
■神山征二郎氏プロフィール
映画監督・脚本家・演劇演出。
1941年岐阜市生まれ。
日大芸術学部映画学科監督コースで学ぶ。
新藤兼人、吉村公三郎、今井正監督の助手を経て、1971年「鯉のいる村」で監督デビュー。
以降、数々のヒット作や受賞作を生み出している。
〈主な作品と受賞〉
1983年「ふるさと」モスクワ映画祭最優秀
男優賞、文化庁優秀映画奨励賞、他
受賞多数
1986年「春駒のうた」タシケント国際映画
祭最優秀作品賞
1987年「ハチ公物語」山路ふみ子映画賞、ゴー
ルデングロス金賞
1990年「白い手」日刊スポーツ映画大賞監
督賞、日本アカデミー賞優秀監督賞、
他受賞多数
1992年「遠き落日」アジア太平洋映画祭監
督賞、山路ふみ子映画賞、毎日映画
コンクール日本映画優秀賞、日本ア
カデミー賞優秀作品賞、他受賞多数
1993年「月光の夏」文化庁優秀映画作品賞
1995年「ひめゆりの塔」
1995年「三たびの海峡』日本アカデミー賞
最優秀男優賞(三國連太郎)
2000年「郡上一揆』
2001年「大河の一滴』製作中



