慰霊の会が遊佐一家没後79年目の「慰霊の集い」を行う。◆上田飛行場で特攻隊員の指導に当たっていた遊佐卯之助准尉が家族と命を絶つ。
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上田飛行場で特攻隊員の指導に当たっていた遊佐卯之助准尉(30)が、妻秀子さん(22)、長女久子ちゃん(生後27日)とともに終戦から3日目の1945年8月18日、上田市富士山の猫山で命を絶った。
昭和31年、住民の熱意により猫山に慰霊碑が建立され毎年、碑の前で慰霊祭を続けてきた。
一昨年、市民により「慰霊の会」(工藤真一会長)が再結成された。
慰霊の会は遊佐一家没後79年目の「慰霊の集い」を、暑さのため会場を室内に移し、上田市マルチメディア情報センターホールで開催。
慰霊参拝と記念講演が行われた。
集まった130人は、全員で黙祷を捧げ、長野明光吟詠会が時世吟詠、上田いずみ合唱団の「別所線牧歌」「星のほほえみ」など3曲の平和の歌声を響かせた。
遊佐秀子さんの甥、東京の森田敏彦さん(64)は遺族を代表して「経済的に厳しい時代に多くのお金をいただき顕彰碑を建てていただいた」と感謝の言葉を述べ「叔父は『少年の飛行兵には親や兄弟がいる。粗末に扱わない』と口癖のように言っていた。自慢できる人柄だった」と語った。
記念講演は大阪の一級建築士、山本一清さん(75)。
特攻隊の生き残りだった父親、琢郎さんについて「特攻教官の真実(リアル)」と題して話した。
父親が特攻隊の生き残りと知ったのは母親の手記からだった。
父親は戦後、営林局官僚として生きたが、戦争体験については一切を封印した。
山本さんは事実を掘り起こすためあらゆる手段を講じて調査。
陸軍特別操縦見習士官として昭和19年に上田飛行場に配属。
上田市内の松尾町と海野町交差点で女子挺身隊だった同市の母と運命的な出会いなど今までの調査でわかった父親の軌跡を話した。



