幕末の上田藩士「赤松小三郎の生誕祭」が、上田市の上田招魂社であった!
テーマ:上田市ニュース



幕末にいち早く議会制民主主義を提唱した上田藩士「赤松小三郎(1831~67年)の生誕祭」が、上田市上田城跡公園内の上田招魂社であった。
赤松小三郎顕彰会などでつくる実行委員会(香山裕実行委員長)が開催し、今年で17回目。
国県市議会議員や住民ら約50人が先見と改革で短い人生を駆け抜けた郷土の英傑赤松に思いを巡らせた。
同市諏訪形の三好町保育園やまびこ太鼓の演奏で開幕し、上田招魂社甲田圭吾宮司(70)の神事後同顕彰会飯田きみ子副会長(75)の司会で生誕祭が始まった。
香山実行委員長(87)は「赤松先生を知ったのは小学校時に読んだ上田市誌。赤松が兄あてに書いた手紙には、地方より京都で行動を起こすことが日本を変える動きにつながるとの記載があり大志を強く感じた。寿命を全うできなかった赤松の生誕祭も17回目で感無量」とあいさつ。
来賓の国、県、市議会議員からは口々に郷土の先人赤松が提唱した「議会人」として恥じない政治活動をしたいとあいさつがあった。
同顕彰会の経過報告をした髙橋聡顕彰会長(69)は「生誕祭、偲ぶ会や講座、記念館の運営、ホームページの運営を進めるなかで、昨今、様々なメディアで赤松が頻繁に取り上げられるようになった。今後は若い人材を加えながらさらなる顕彰活動を続けたい」と話した。
生誕祭の最後には、上田市消防団ラッパ隊により、赤松が翻訳した「英国歩兵練法」に収録されている信号ラッパを演奏した。
◇ ◇
赤松は1831(天保2年)4月上田藩士の次男として生まれた。
1867(慶応3)年5月、議会制度創設など近代化に向けた国家構想「建白七策」を幕府などに提出。
帰藩の直前同年9月、京都で薩摩藩士桐野利秋らに暗殺された。



