青木村と東急グループ「五島慶太」を縁に深める連携! ★首都圏でタチアカネ新そば祭
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青木村出身で東急グループの礎を築いた五島慶太(1882~1959年)は実業家であるとともに、教育者として次世代の育成に力を注いだ人としても知られている。
慶太つながりの村と東急グループは、2020年4月に「五島慶太未来創造館」を開館させて以降、連携を深めている。
昨年、2023年は、未来創造館で1月13日から3月31日まで、TOKYU百年絵巻特別企画展Season3「東急グループ軌跡と未来」を開催。
別所線編7巻の展示のほか、岡田光司さんの「電車が走る原風景写真展」などを行って東急グループを紹介した。
1月24日から28日まで、首都圏で14店を展開する東急㈱子会社の駅そばチェーン店「しぶそば」で、村特産タチアカネを使用した「新そば祭」を開催。
しぶそば全店でタチアカネ新そばを販売して村をPRした。
3月27日には東急と村が「地域活性化起業人制度(企業人材派遣制度)」に関する基本協定書締結式をリモートで実施。
引き続いて村役場で派遣社員の辞令交付式を行った。
東急社員の中山典秋さんが、4月1日付で村総務企画課事業推進室に派遣された。
中山さんは村と東急グループの関係・交流人口の創出・拡大に資する業務や、慶太関連施設などの有効活用を進める業務に就いている。
村と東急グループの橋渡し役として期待がかかっている。
8月2日には東急グループの社員研修所「東急グループ慶太塾」が村内の殿戸地区にある生家跡地に完成。現地で竣工式を行った。
建物は、2018年8月に落雷火災で焼失した生家を再現したもの。
木造2階建ての母屋は延べ床面積約250㎡、木造平屋の離れは約40㎡。
焼失を免れて保管していた梁約30本を当時の位置になるべく活用し、母屋の1階には囲炉裏も再現。
キッチンや浴室も配置した。
10月からは定期的な見学会も始めている。
9月15日には慶太への「名誉村民称号」と「名誉村民章」の贈呈式を未来創造館で行った。
慶太の孫にあたる東京都世田谷区の五島祐さんに北村政夫村長が手渡した。
未来創造館では同日から11月5日まで、企画展「五島慶太翁 生家Storys」を開催。
同村や東急グループの生家復活プロジェクトなどを紹介した。
11月14日から28日までは「しぶそば」で、連携企画第3弾となる「タチアカネ新そば祭」を開催。
2023年10月に収穫された新そばを提供した。
未来創造館では11月8日から12月24日まで、特別企画展「五島慶太と書」を開催。
慶太の晩年の趣味の1つだった「書」と、書の巨人・西川寧との交流を紹介しながら慶太の新たな素顔に迫った。
〈五島慶太〉
1882年に「殿戸村(現・青木村殿戸)」に生まれた。
「東京高等師範学校(現・筑波大学)」を卒業後に三重県で英語教師になった。
さらに「東京帝国大学(現・東京大学)」に入学。
卒業後の1911年には農商務省に入省して官僚になった。
さらに鉄道院に転属して上田温泉電軌や飯山鉄道の鉄道建設に関わった。
しかし、1920年には鉄道院を退職。
1922年には、目黒蒲田電鉄を設立して専務取締役に就任。
1942年には「東京急行電鉄(現・東急)」の取締役社長に就任。
1944年には運輸通信大臣に就任。
終戦後は「GHQ(連合軍最高司令部)」により公職追放された。
しかし、1952年に復活して東京急行電鉄の取締役会長に就任。
1958年には、故郷の殿戸地区に公民館を寄付した。
翌年、1959年に77歳で死去した。