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長野大学社会福祉学部「山浦和彦教授のゼミナール生」が太平洋戦争中の「疎開」について聞き取り調査を行う! ◆上田市内に疎開した川崎市の中村不二江さん(89)に当時の様子を聞く!

テーマ:上田市ニュース

【地図を示しながら体験を話す中村さん】

 太平洋戦争中の「疎開」について聞き取り調査を行っている長野大学社会福祉学部、山浦和彦教授のゼミナール生6人は、このほど川崎市の中村(旧姓宮前)不二江さん(89)に当時の様子を聞いた。
 中村さんは、上田市の軍需工場長として赴任した父とともに家族で上田市に疎開した。

 中村さんは東京都出身。
 小学4年生だった昭和19(1944)年8月から同21年4月まで市内で暮らした。
 中村さんの父は戦況を大きく変えたレーダーの基となる電気の波長の研究をしていた。
そのため、常に特高警察に監視されていた。
中村さんもすぐに級友からのろまを意味する「のろけつ」とあだ名を付けられるなど「(上田は)父にもわたしにもつらい土地だった」と述懐した。

 終戦になり母と兄弟6人が群馬県にある父の実家に引き揚げた時に、母が父から青酸カリを渡されていたことは後に知ったという。

 また、中村さんの父は晩年、精神状態が不安定になり「俺は生きていてはいけない人間なんだ」などと取り乱すようになった。
 中村さんは「戦後何十年経っても心の奥底に苦悩を抱え込み死の床でもがいている父を見て、この事実を多くの人に知ってもらいたいと思うようになった」と話した。

 大学卒業後に教師となり「その後会った長野県や上田の人はみんないい人ばかりだった」と振り返った。
 聞き取り後の取材には「時代が変われば分からないことが多いと思うが、学生さんはとても真剣に聞いてくれた」と感謝した。

 同大学4年生の高田一吹さんは「(中村さんのお父さんが)冬の娯楽にと水をまいてスケート場を作ったことや青酸カリを持って逃げたことなど印象的なエピソードを聞くことができた。生の声を聞くことで戦争を自分ごととしてとらえ、より思いを深めることができた」。

 同じく4年生で、ゼミ長の岡田輝さんは「疎開した人の複雑な気持ちや食糧の苦労などを聞いて、若い世代に伝えていかなければという思いが強くなった」と力を込めた。

 山浦ゼミでは今後も「体験者からの聞き取り」を進め、年度末には「記録集」としてまとめる計画だ。