上田高校の松尾祭で卒業生で、拓殖大学の関良基教授が「講演」! ★同校の「郷土班」が招く。
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上田高校(宮下美和学校長)の松尾祭でこのほど、同校郷土班(金井悠瑛班長)が、卒業生で拓殖大学の関良基教授を招き「講演会」を開いた。
生徒ら約90人が参加した。
「上田幕末伝~松平忠固・赤松小三郎の業績を生かしたまちづくり~」と題した講演。
関教授は、日本の近代を切り開いたのは上田藩主松平忠固であり、藩士の赤松小三郎であると語った。
まず、赤松は日本で初めて法の下の平等と普通選挙に基づく議会制民主主義の提案など、現在の日本国憲法につながる構想を提案した。
もし徳川政権と兵学者として赤松が指導した薩摩藩が、この構想を受け入れていたら、わが国の歴史は確実に変わっていたとした。
渋沢栄一も赤松の名を著作「慶喜親公伝」で記している。
藩主忠固は、交易は世界の通道として、ペリー来航時から開国による交易を進め「攘夷論者」と闘い続け、横浜の開港を成し遂げた。
開国は大老井伊直弼が行ったと言うのが歴史の通説だが、井伊自身が、「伊賀(=忠固)」が反対を押し切って強引に開国を行ったとの言葉があると紹介した。
また、忠固が「交易論者」になったのは、1833年の「天保の大飢饉」に対する救済策として、高品質の上田の養蚕業の奨励から始まった。
上田縞の藩専売化とプランド化、さらには大坂城代として上田織物の直営店を開設。
その販路拡大策の延長上に開国による交易を目指したことからだとした。
なお、天保の飢饉の際は上田藩主として手厚い飢饉対策を行った。
真田町にある山家神社に当時の領民らによる顕彰碑があるとした。
このほか、忠固の二男で、渡米しエジソンに匹敵する発明家とされた忠厚、その子で米国初の日系人市長となったキンジロー・マツダイラを紹介した。
まとめとして、上田はわが国の民主主義、開国、交易のルーツとなる貴重な場所。
市民がこうしたレガシーを認識し整備、利活用すべきである。
八王子は桑都として様々な地域おこし活動を進めている。
上田は”蚕都”であり、伝統的建造物を保全活用しまちづくりに生かし、絹のみならず、地球にやさしい食材として利活用も十分考えられると結んだ。
話を聞いた郷土班で同校2年の中村晄(ひかる)さん(17)は「近代日本の先駆者となった上田ゆかりの先人を初めて知った。これからのまちづくりに生かすべきだ」と話した。



