「幕末の老中松平忠固」刊行を報告! ☆幕末、上田藩の全容が詳らかに ☆歴史研究家で東洋大学の岩下哲典教授
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長野県塩尻市出身の歴史研究家で東洋大学岩下哲典教授(62)は、このほど上田市役所に土屋陽一上田市長を訪ね、研究成果論文集『幕末の老中松平忠固(吉川弘文館)』刊行を報告した。
研究成果論文集を発刊したのは、令和5年3月に発足した幕末史研究者や大学院生らでつくる「松平忠固と生糸貿易研究会」(会長・岩下教授)。
報告には幕末上田藩主松平家ゆかりの子孫や関心がある市民でつくる明倫会布施修一郎会長(77)、河合良則副会長(66)らも同席した。
岩下教授は、上田市立博物館に所蔵される膨大な古文書の解読は、まだまだこれからだとしたが、かなりの新発見があると話した。
話題に上がったのは上田藩士で兵学者、政治思想家の赤松小三郎(1831―1867)検死の件。これは同博物館所蔵の古文書から解読した。
岩下教授によると京都上田藩邸にあった検死関係の帳面から書き写されたものだとした。
それによると慶応3(1867)年9月3日、赤松は五条洞院通下で薩摩藩士中村半次郎(後の桐野利秋)と田代五郎左衛門に暗殺されたが、検死した公家千種家の松本医師による検案書は「日々御用向留」のなかの「京阪御用状往復留」にあった。
これによると、赤松は合計六太刀を浴びている。
首廻りの二太刀の八寸五分(約26㎝)と五寸五分(約17㎝)が致命傷となったとされる。
実行犯の中村と田代は赤松の首に30㎝近く深さ6㎝となる刀傷を付けた。
赤松は大量に出血、首はかろうじて胴体についていた状態と推測される。
左肩が20㎝近い傷と、右肩がその半分の傷、右腕と背中で赤松を完膚なきまでに惨殺、暗殺者の異常に強い殺意を感じさせ、ほとんどほとんど即死ではなかったかと思われる。
このほかに赤松の上田留守宅に起こった農具盗難事件、赤松死後の上田藩の扱い、薩摩藩の介入など明らかになったことはかなり多いと言う。
土屋市長は、7月に松本市の刀剣研究家が所有す赤松を暗殺した中村が所有していたとされる南北朝時代の刀工や中村半次郎利秋の名が刻まれた刀は披露された事を話し興味深そうに聞いていた。
岩下教授は「博物館での古文書の解読は一割程度。研究の進展で幕末の上田藩の全容が詳らかになり市民のシビックプライド醸成につながると思う。近い将来は上田市に腰を据えて研究を続けたい」と話した。



