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上田ゆかりの先人の案山子を作る飯田きみ子さん(72)が「赤松小三郎」を語る! うえだ原町一番街商店会の「歩いて学んでハイ・ビンゴ」の先人講演会。

テーマ:上田市ニュース

【講演する飯田さんと案山子を持つ飯田さんの孫】

 うえだ原町一番街商店会(河合良則理事長)が3月10日まで開催する「歩いて学んでハイ・ビンゴ」の先人講演会がこのほど、同市原町の池波正太郎真田太平記館で開催された。

 講師は、上田ゆかりの先人の案山子を作る上田市古里の飯田きみ子さん。
 案山子から見た上田の先人と題し、幕末の兵学者で上田市出身の赤松小三郎を語った。

 飯田さんは、リンゴ栽培も営む兼業農家で平成8年から案山子づくりを始めた。
平成16年からは案山子づくりを教えながら、毎年同市殿城にある稲倉の棚田へ案山子を設置している。

 先人案山子をつくるきっかけは10年ほど前、上田藩御用商人で材木商丸山平八郎の自宅・丸山邸にあった赤松小三郎記念館で当時、会長だった同顕彰会の伊東邦夫会長から上田藩士赤松の話を聞いたことだという。※赤松小三郎記念館は現在、上田招魂社内に移転。
 その後は、人工がんをつくった山極勝三郎、民生委員制度を創設した小河滋次郎などの地域ゆかりの先人の案山子をつくった。
 総数は200体以上となった。
 

 先人案山子づくりには、各先人について書かれたあらゆる本を読み込み、案山子の胸に貼った肥料袋に先人の説明文を付けている。

 今回の講演会には、赤松など10体ほどの案山子を持ち込んだ。
 案山子を持つ役で飯田さんの孫3人も参加。
 日本の近代化に尽力し凶行に倒れた赤松を語った。

 飯田さんは「幕末から明治期に上田の先人たちが新しい日本のあり方を提案し行動していた史実を知ってほしい。歴史を埋もれさせまいと戦火からこうした資料数万点を上田に疎開させた上田出身の人たちがいた」と話した。
 ”これを次世代に伝えていく使命がある”と強調していた。

 なお現在、上田商工会議所1階ロビーには、飯田さん制作の「小河滋次郎の案山子」が、展示されている。