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企画展「蘇民将来符と国分寺三重塔修理の痕跡」(31日まで・上田市国分の信濃国分寺資料館)

テーマ:お知らせ

【江戸時代につくられたと推定される水煙】
【昭和の修理で外された部材】
【特大の蘇民将来符】
【現在と模様が異なる、昔の蘇民将来符】

 上田市国分の信濃国分寺資料館は、31日まで企画展「蘇民将来符と国分寺三重塔修理の痕跡」を開いている。

 例年は「八日堂縁日」に合わせて蘇民将来符の展示や、蘇民将来符のいわれが記されている市指定文化財・古文書で室町時代の「牛頭(ごず)天王之祭文」。
市指定文化財で江戸期に描かれた絵図「八日堂縁日図」などを展示している。
 しかし、今回は、加えて「国重要文化財の国分寺三重塔」も特集した。

 国分寺三重塔は、室町中期・15世紀後半ごろに建てられたと推定されている。
寺院などの建物は定期的に修理が必要なため、何度も修理を繰り返している。戦乱で損傷を受けたこともあったと推定されている。
 修理の際に、梁隅木(はりすみぎ)に焦げたあとが見つかっている。
修理の記録は、1685年、1726年、1748年、1778年、1822年、1862年、1892年、1932年から2年間。
上田藩主や庄屋らによる寄進、上田の有力者が講をつくって寄進など。
 1892年(明治25年)の修繕では、こけら葺から「瓦棒付き銅板葺」になった。
 1932年は、文部省指導で本格的に解体修理した。
傷んだ木部の再築、屋根をこけら葺風の「銅板葺」に変更。
塔の上にあるリング状の相輪(そうりん)、相輪の上にある水煙(すいえん)の改鋳を行っている。

 展示では、昭和の修理で取り替えられた柱、塔部材、江戸時代につくられたと推定される水煙の実物が見ることができる。
 展示されるのは久しぶり。

 元上田市立博物長で、資料館の滝澤正幸さんは「室町から残っていのは柱、屋根を支える組み物、内陣などはオリジナル。江戸時代の姿は、『八日堂縁日図』に描かれているが省略して描いているので、よくわからない。水煙は、金属で格好良いものだったので、恐らく盗まれた。江戸時代に上田藩主が水煙をつくり直し、その時はオリジナルがないため、青木村の大法寺三重塔の水煙をモデルにして新たにつくられた」と話す。展示では、大法寺三重塔の水煙の拓本もあり、比較してみることができる。昭和の解体修理を行った前後が比較できる写真もあり、文化財が先人たちの努力によって修理され、現在に受け継がれていることがよく分かる。

 今回の蘇民将来符の展示では、林之郷の細田家から寄贈された現在はない高さ約40㎝の特大の特注品を展示。
 江戸時代末や明治期など横尾・花岡家から寄贈された蘇民将来符なども並ぶ。

 時間は午前9時から午後5時まで。
 入館は4時半まで。
 水曜と祝日の翌日は休館。
 問い合わせ(電話)0268・27・8706