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企画展「小諸義塾と藤村~木村熊二と教師島崎藤村」(24日まで・小諸市立藤村記念館) ☆小諸義塾記念館で「木村熊二の社会貢献展~塾長木村熊二と塩川伊一郎の桃栽培」も同時開催!

テーマ:お知らせ

【当時の教科書など並ぶ展示】
【「藤村が熊二にあてた手紙」】


 小諸市立藤村記念館は24日まで、企画展「小諸義塾と藤村~木村熊二と教師島崎藤村」を開いている。
 小諸義塾記念館で「木村熊二の社会貢献展~塾長木村熊二と塩川伊一郎の桃栽培」も同時開催。

 島崎藤村の小諸義塾教師時代に関する展示や小諸義塾がどのような学校だったか、塾長の木村熊二の生涯に触れながら、熊二が義塾にかけた思いをパネルや資料で伝えている。

 小諸義塾は明治26年、小諸の青年小山太郎らの「熱い要請」に応えて木村熊二によって誕生した私塾。
 高等小学校を卒業した青年らの勉学の場として、人物の育成を教育目標に島崎藤村をはじめ全国各地から個性豊かな教師が集まった。
 寄宿舎があり、生徒は小諸だけでなく南佐久や上田方面からも学びに来ていた。

 展示は、藤村直筆の「藤村が熊二にあてた手紙」や当時小諸義塾で教えられていた教科がわかる資料「義塾の学科一覧表」、小諸義塾のバッジ、小諸義塾で実際に使われていた明治時代の教科書などが並ぶ。

 義塾の学科は、人物形成を第一に考えたことから倫理があり、農家の子弟が多かったため農学があるのも特徴。
 当時としては珍しい9月に新学期が始まるアメリカ型の学校スタイルで5月から9月まで休校だったのは農繁期に配慮したためと考えられる。

 個性的で自由を特色とする先進的な教育だった義塾は、日露戦争を契機に当時の国家の方針や社会風潮と相容れず明治39年に閉塾。
 13年間で約500から600人が学び、卒業生は各分野にわたって活躍した。

 東京から訪れた越智幸夫さん(76)と千春さん(72)夫婦は展示を観て「当時の人から今にない志を感じた。すごい教師陣で個性があって、生徒は農業もしながら勉強への意欲があって。この時代を知れて良かった」。

 矢島守館長は「小諸商業高校と小諸高校が統合し小諸義塾高校が来年度開校するということで、その名の元となる小諸義塾がどんな学校だったのか、ぜひ知っておいてほしい。塾長の木村熊二が来年で没後100年になる。熊二がどんな思いで義塾を立ち上げたのか、感じてもらえたら」と話していた。