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上田ロータリークラブが上田紬の(有)藤本、佐藤元政社長(50)を表彰!

テーマ:上田市ニュース

【林会長から表彰を受けた佐藤さん(左)】

 上田ロータリークラブ(林秀樹会長)の職業奉仕委員会(小幡晃大委員長)は、上田高砂殿で開いた例会で「職業奉仕賞」の表彰式を行った。

 職業を通じて社会に尽くし、地道に持って取り組む職業人を年1回表彰している。
 今回は上田紬の(有)藤本、佐藤元政社長(50)を表彰。

 例会では、小幡委員長が佐藤さんについて「25歳に上田へ戻り、上田紬の製造から販売、多くの人へのPRをしている。上田紬織物協同組合の理事長、蚕飼姫プロジェクトの事務局長も務めている。上田紬の仕事に25年従事され、活躍している。職業奉仕賞にふさわしい」と紹介。

 佐藤さんは「素晴らしい賞を頂きありがとうございます。先祖代々続く仕事があって頂いたと思っている」と礼を述べ、江戸時代から蚕種で繁栄した藤本の歴史や上田紬についての解説。
自身の仕事について語った。
 上田紬について「生糸にならない繭を真綿にしていたが、真綿の需要がそれほど多くないため、真綿から紬糸にして織物にしたものが紬。紬は日本中にあり、農家が自分たちで着るために作り始めた。上田紬が商品として成立し始めるのは、先祖が蚕種の製造を始めてから。蚕種は穴の開いた繭がたくさん残り、原料がたくさんあったので、しっかりとした糸をつくり、丈夫な織物ができた。始めた1660年代は上田藩主の仙石氏が、京都や大阪に運び、かなり売れたようです。上田紬の特徴は、縦縞という話しが出るが、昔から縦縞は粋な柄といわれ、それが得意だったため上田紬はファッション的に優れた織物になった。明治・大正になると、生糸製造が儲かるようになり、紬は作られなくなった。戦後、軍から真綿が放出され、それを使って上田紬をつくったようです。NHKの朝ドラの影響もあり、紬ブームで昭和40年代から50年代は売れ行きが良かったが、その後は下火になり、市場規模は10分の1になった。上田紬は、着物好きが最後に行き着くところとなっている」など解説した。