終戦直後、上田市富士山の猫山で割腹自殺を遂げた「遊佐卯之助(ゆさ うのすけ)准尉」と妻子の「慰霊の集い」が開かれる。
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終戦直後の1945(昭和20)年8月18日、小県郡富士山村(現・上田市富士山)の猫山で割腹自殺を遂げた遊佐卯之助(ゆさ うのすけ)准尉(当時30歳)と妻子の「慰霊の集い」が命日の18日、猫山の慰霊碑前で開かれた。
今年4月に結成した市民団体「特攻教官遊佐准尉並妻子慰霊の会」(工藤真一会長)が主催。
関係者約50人が集まって慰霊碑に焼香し、平和を願い不戦を誓った。
遊佐准尉は、上田市中之条にあった熊谷陸軍飛行学校上田分教場の教官として特攻隊員の訓練を担当。
遊佐准尉は「君たちの命がなくなる時は私の命もない」と約束して真剣に訓練したといい、教え子を特攻に送り出した自責の念もあり22歳の妻、秀子さんと生後わずか27日の長女、久子ちゃんを伴って自決した。
慰霊碑は1956(昭和31)年に住民ら有志が建立した。
上田市遺族会で、同市西内の池内宜訓会長(83)は「戦後78年が経ち、当時のことを知る人は少なくなってきたが戦争は絶対にしてはいけない。きょうを平和の尊さをかみしめる日としたい」とあいさつ。
遊佐准尉の妻、秀子さんの妹の長男、森田敏彦さん(65)=東京都昭島市=は「地元の方々が自転車や歩きで1軒1軒、回って浄財を集めて大変なご努力で立派な慰霊碑を建てていただいた。遺族の1人として深く感謝します」と述べた。
長野明光会が遊佐准尉辞世を吟詠し、上田いずみ合唱団が鎮魂歌を合唱した。
同会事務局長で、同市下之郷の村山隆さん(76)は「今年は慰霊の会が組織化されて初めての集い。多様な方々に集まっていただきありがたい。今後も平和について考える集いとして続けていきたい」と話した。



