「特攻教官遊佐准尉並妻慰霊の会」が”結成記念シンポジウム”と”結成総会”を開く!★上田市の塩田公民館で
テーマ:上田市ニュース
「特攻教官遊佐准尉並妻子慰霊の会」の結成を期して、このほど「結成記念シンポジウム」と「結成総会」が上田市の塩田公民館で開かれた。
主催は同慰霊の会準備会、共催はヤマンバの会。
旧日本陸軍の熊谷陸軍飛行学校・上田教育隊の操縦教官、遊佐卯之助准尉は「君たちの命がなくなる時は、俺の命もない」と部下に約束して若者を特攻に送り出した。
敗戦後の8月18日、上田市富士山下組の猫山で、妻子と共に3人で自決した。
これまでも地元有志により慰霊祭などは行われてきたが、史実と戦争の悲劇を後世に継承するため、組織化して「慰霊の会」を結成することになった。
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結成記念シンポジウムには会場満席の多くの人が参加。
遊佐准尉の遺書や写真なども展示。
「若者たちの目を通して、遊佐事件を考える」をテーマに、長野清泉女学院中学1年で坂城町の柳澤蓮さんと、長野大学山浦ゼミ4年生で岡田輝さんが報告。
準備会事務局の村山隆さんが司会を務めた。
まず、最初に準備会の手塚正道さんが、遊佐事件の基本について語った。
「戦争被害というと原爆や空襲など大きな悲劇を思い浮かべ、私どもの遠い場所で起きたという感覚で見てしまうが、遊佐事件はごく身近にあったことで、戦争被害を伝えるもので、後世に伝えたい」と話し、遊佐准尉の経歴を説明、辞世の句や遺書の分析を語った。
柳澤さんは、戦争について調べる中で、村山さんに教えてもらった燃料不足を補うための松脂を採取したこと。
遊佐准尉が教え子を特攻で出撃させ自決したこと。
ーなどについて、戦争について学び考え、平和な世界をつくりたいと発表した。
岡田さんは、山浦ゼミで戦争遺跡を調査する中で、遊佐准尉が終戦の3日後に自決したことについて「温厚で優しい人だと聞いた遊佐准尉に責任と約束を感じた。自決に追い込んだ戦時下の考えを、皆さんに改めて考えてほしい。なぜ、妻子と共に自決を選んだか、皆さんにそれぞれの答えがあると思う。真意を聞くことはできないが、自決を選んだことを考えることで、平和な世の中を続けていくためには、どのようにしたらよいのかと思っている。戦争の記憶が薄れ、忘れ去られることは、同じ過ちを繰り返すことになると思う」と、戦争遺跡を伝え知り、考え、行動することの大切さを力強く語った。
遺族を代表して東京都から参加した、遊佐准尉が義理の叔父にあたる森田敏彦さんは「叔父、叔母の約束を守る行動は尊敬し、悲劇的なことだと思っている。上田の皆さん、長野県民の多くの皆さんに集まってもらい、慰霊していただいていることに感謝したい。若い皆さんには感性を磨いていただきたい」と話していた。
そのほか、会場からの質問に答える場面もあった。
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◆慰霊の会結成の総会では以下の目的を確認した。
個人が会員になる市民組織
遊佐准尉と妻子を偲び、慰霊
事件を後世に伝えて平和な社会を築くこと
役員は下組の工藤真一さんを会長、副会長に手塚正道さんと宮沢正和さん、事務局長に村山隆さん、事務局に畠山克己さん。
顧問にはこれまで中心的な役割を果たしてきた栁沢文雄さん、遺族の森田さんら。
◆今年度の活動として
命日の8月18日に慰霊の集いを開く。
慰霊の会ニュースを創刊。
遺書などの遺品の保管の検討ーなど行う。
年会費は1000円。結成宣言も採択した。